わたしはわたし👞

~国内外を転々としながら楽しい生活をめざして奮闘中~

ライターの廃業と新たな門出

2017年から始めた「執筆業」の廃業届を出した。

細々とではあったものの、約7年間も文章を書いて報酬を得られていたとは、驚きだ。私のもっとも長いキャリアは、会社員時代に約10年間たずさわっていた海外取引先との折衝業務だが、気づけば、ライターとしてのキャリアはそれに匹敵するくらいの長さになっていた。

文章を書くのは好きだったが、実は、ライターになろうと思ってなったわけではなかった。

シンガポールに住んでいた頃に、異国生活の苦労を吐露したり、暇をつぶしたりするために書いていたブログを、とあるウェブメディア関連の会社が読み、シンガポールのオススメスポットの記事を書かないかとオファーしてくださったのがきっかけだった。

会社員時代に約1年間、とある学校のライター養成コースを受講して文章の基礎を学んだり、シンガポールの写真学校で撮影の基礎を勉強したりはしたが、それがどれだけ記事を書くのに役立っていたのかはわからない。ただ、自分が好きになったシンガポールのいろいろな場所を他の人にも知ってもらい、気に入ってもらえると嬉しいという一心で、熱心に書いていた。

シンガポールから日本へ帰国した後も、夫の転勤で転々としながらフリーライターとして活動し、書くジャンルを広げていった。旅行記事に加えて、企業を取材して原稿を書く「求人広告」や、クリニックの開業医をインタビューする「医療広告」、地域情報の発信など、ほぼライター未経験だったにも関わらず、さまざまなジャンルの原稿を書かせてもらえたのは幸運だった。

ライターの経験が浅かった頃は、得られた仕事を遂行するために一生懸命だった。取材の仕方や文章の表現などを熱心に研究し、より良い原稿を書けるように最大限の努力を惜しまなかった。ありがたいことに仕事の依頼は途切れることなく、また納品した原稿が突き返されたりクレームが付いたりすることもなかった。

しかし、私はだんだん、ライターの仕事をするのが辛くなっていった。

私の場合、仕事の全体の1割が取材で、残りの9割は自宅で黙々と文章を書いていた。つまり、大半の時間を人と関わらずに独りで作業をするのだが、これは孤独だった。しかも、自分の書いている記事がこれでいいのだろうか・・・という不安が常に付きまとい、相談できる人もいない。仕事が打ち切られないということは、きっと問題はないのだと思うが、不安を抱えたまま、独りでひたすら文章を書く孤独な生活に耐えられなくなっていった。

それから、広告を書くことも、徐々にある種の虚しさを感じるようになっていった。

広告を書く目的は、企業が作った商品やサービスをPRすることであり、主役はあくまで誰かの商品やサービスだ。つまり、うまくPRできるなら、誰が書いたっていい。

(別に私じゃなくても、他のもっと文章を書くのが上手なライターさんが書けばいいよね・・・)

独りで黙々と作業をする孤独さ、いつでも取り換えのきく存在であることの虚しさ、報酬がもらえなくてもいいから(もらえればベストだが・・・)自分にしか書けない何かを書いてみたいという想いが重なり、今回、廃業届を出すに至った。夫のイタリア赴任も、いい意味で私の背中を押したと思う。

ポストに廃業届を投函した時、何だかスッキリした。これから何か新しいことが始まるんだという、ポジティブな予感がした。

そして、今日、今年1月に受験した、カウンセラーの資格試験の合否が郵送されてきた。

急いで封筒を破ると、そこには「合格通知書」と書かれていた。