小川糸、吉本ばなな、沢木耕太郎、大槻ケンヂ。今、手元にあるエッセイだ。
いろんな人の文章を読んでみようと思い、図書館で借りてきた。
当たり前だけれど、文体もテーマも、作者によってまったく違う。
牛乳にクッキーを浸して食べているときのような(この食べ方は、あまり好きじゃないが)ほのぼのとした雰囲気のものもあれば、愛情をもって叱られているような気分になるものもある。人には言えない話を、本を通して打ち明けられているような危ういものまで、読み比べてみると、違いがより一層際立って面白い。
ひとつ、またひとつと読んでいくうちに思った。
(もっと自由に書いてもいいんだ)
文章を書くからには、読者にとって有益でなければならない。読まれるものを書かなければならない。そう思っていた。
仕事ならいざ知らず、個人的に綴るブログまで、そんな風に小難しく考えていたら、しんどくなってしまう。読まれるかどうかは読む側の自由なので、書く側はどうしようもないのに。だから、これからは軸を自分にして、自分が書きたいことを書きたいように書くことにした。
私が文章に対して求めていたように、生きていく上で「〇〇でなければならない」ことなんて、たかがしれてると思う。もちろん、法に背いたり意図的に人に迷惑をかけたりしてはいけないけれど、そうでなければ、いろんなことをもっと自由にやっちゃってもいいと思いませんか?
ところで、私が書いている文章は、一体どんな感じなのだろう。小川糸さんみたいな、やわらかくて可愛らしい文章でないことは確かだが・・・。