わたしはわたし👞

~国内外を転々としながら楽しい生活をめざして奮闘中~

テオさんに出会っていなければ

2015年に移住した時は、シンガポールが嫌いだった。

自分が好きで住んでいるわけじゃない。新婚だったこともあって、シンガポール赴任を希望した夫に、仕方なくついていっただけだ。そのせいで、10年以上、勤めた会社を辞めることになったのは、とても残念だった。

心機一転し、シンガポールで働き始めたものの、適応障害になり、半年で退職してしまった。新しい土地での新婚生活や慣れない仕事の心労が重なったのだろう。私がひとりで、いろんなことに奮闘しているのを、夫にわかってもらえないことも辛かった。

しばらく療養した後、再び仕事を探し始めたが、なかなか決まらない。不安と焦りから、チャイナタウンにある占いに、思わず駆け込んだ。

私を笑顔で迎えてくれたのは、占い師のテオさん。年齢は、60代半ばくらいだろうか。落ち着いたブルーのシャツを着て、黒縁のメガネをかけている。ひと目見た瞬間に「この人は絶対にいい人だ」と思わせるような、安心感があった。

私はせきを切ったように、胸の内をぶちまけた。

シンガポール移住のために、自分のキャリアを捨てるのは悔しかった。バリバリ働いていた頃の自分が恋しい。一体これから、どこへ向かえばいいのか……。

テオさんは「わかりますよ」と、うなずきながら温かく話を聴いてくれていた。しかも、その場で知り合いに電話をして、仕事がないかどうかまで訊いてくれたのだ。紹介できそうな仕事があれば連絡してくれるとのことで、電話番号を交換した。

数日後、テオさんからメッセージが届いた。

「よい冬至をお過ごしください」

添付写真に写っている、見慣れない団子は何かと訊くと、どんなものか紹介してくれると言う。親切に甘えて、再びテオさんを訪ねることにした。

テオさんは、あの団子を用意してくれていた。冬至に食べる習慣があるそうだ。しかも突然、夕食までご馳走してくれることになった。

中華料理店で、テーブルいっぱいに並ぶ料理を前に、私の頭は混乱していた。まだ会って二回目なのに、なぜこんなに親切にしてくれるのか。そんな私の不安をよそに、テオさんは、次々と料理を注文してくれたのだった。

それ以来、テオさんと親しくなり、定期的に訪ねるようになった。そのたびにテオさんは、私をチャイナタウンのいろんなところに案内してくれた。

仏教寺院や中医学クリニック、シンガポール料理店。特に、ボボチャチャというココナッツミルクにタピオカが入ったスイーツを私が気に入り、2人でよく食べた。

テオさんに出会うまでは、異国暮らしの悩みを打ち明けたり、頼ったりできる人はいなかった。それが今は、いつでも私を温かく迎え入れて、話を聴いてくれる人がいる。

テオさんは、私の心のよりどころだった。

2018年の春、日本への帰国が決まった。私は内心ほっとしていた。この孤独な異国生活も暑いクリスマスも、もう限界だった。

ところが、ある日、所要のためチャイナタウンを歩いていると、不意に涙が出てきた。

テオさんを訪ねる時に、いつも歩いた道。テオさんと行ったレストラン。テオさんと過ごした、露店の並ぶ華やかな旧正月―—。

チャイナタウンは、テオさんとの思い出であふれていた。

日本に帰国してしまえば、もう気軽に会うことはできない。そう思うと、自分の大切なものが急に失われるような気がして、悲しくなったのだった。

とうとうやってきた、テオさんとの別れの日。

テオさんがいかに私のシンガポール生活を楽しいものにしてくれたかを、私は涙をこらえながら一生懸命伝えた。テオさんは、独り立ちする子どもを送り出すかのように、温かく聴いてくれていた。

ハグを交わした後、私は地下鉄の改札を通り、エスカレーターでプラットホームへ下っていった。私の姿が見えなくなるまで、テオさんはずっと手を振ってくれていた。

「元気にしていますか」

あれから5年。メールのやりとりを通して、テオさんとの親交は今でも続いている。夫の転勤で、相変わらず転々とする私の苦労を、テオさんはいつも理解してくれる。

2022年には、シンガポールで再会。チャイナタウンにあるいつもの店で、ボボチャチャを一緒に食べた。 

昔と変わらぬ味がした。