「ちょっと遅れます」と言って、約束の時間の30分後に現れたのは、コーチングをしているシンガポール人の友人。彼女とは2016年に出会って以来、時々、お茶をしながらいろんな話をする仲なのだ。ちなみに彼女は60歳で、いつも何かしら面白いことを手掛けている。
「これ、プレゼントよ!」
可愛くラッピングされた袋の中には、瓶詰めされたおいしそうなジャムがあった。なんでも事前予約がないと売り切れるような、人気店のジャムらしい。昨日から会う人みんなが何かしらのプレゼントをわざわざくれて、その優しさに涙が出てくる・・・。
コーチングの商売をしていて、いつもいろんな示唆を与えてくれる彼女に、今回も私は人生相談を持ち掛けた。
「会社でバリバリ働いていた昔の自分と、今のあんまり輝いていない自分を比べて、意気消沈します。これはどうしたらいいんでしょう」
「過去、現在、未来の自分があるわね。これから、未来の自分を作るのは誰なの?」
と言われてハッとした。未来の自分を作るのは、私がずっと執着している過去の自分ではなく、現在の自分のはずだ。
「そうでしょう?会社でよく活躍したし、評価もしてもらえた。ありがとうと、昔の自分にリスペクトと感謝をして、手放しなさい」
あぁ、なんだか、前向きに生きていけそうな気がする(涙)。
仕事に執着する私に、彼女はこうも言った。
「仕事や収入の高さを、アイデンティティや目標にするのはやめなさい。こうありたいという姿や1億円あったらしてみたいこと、つまり夢ね、人生の意味などを軸として持ちなさい。そうすれば外部環境に左右されない」
そうか、私は仕事を自分のアイデンティティにずっとしていたから、仕事がうまくいかなくなるたびに、不安定になっていたのだ。これからは、私がプー太郎になっても(今もそれにほぼ近いが・・・)、友達に仲良くしてもらえるような素敵な自分でいたい。
その後も、カフェの店員さんに、窓際の狭い席に移動させられながらも、人生の意味はどうやったら見つかるのかなどといった小難しい話を、我々は繰り広げていた。
すると、突然、隣に座っていた、若いお姉ちゃんが話しかけてきた。
「横から突然すみません。あなた方の話を聞いていて、とても感化されまして・・・。私はベトナム人大学生で、2カ月前からシンガポールでxxxの勉強しているのだけれど、自分の人生の意味が見出せなくて・・・」
彼女はベトナムの上流階級の娘さんのようで、とてもきれいで流暢な英語を話した。小さい頃からインターナショナルスクールに通っていたらしい。そんなベトナム人女子に、シンガポール人の友人は温かくいろんなアドバイスをしていた。その横で日本人の私は、ニコニコと様子を見守る。なぜなら会話が早すぎて、ついていけないからだ・・・。
この日、いかに英語力を低下させないことが、自分にとって重要であるかを思い知った。英語が話せなくなるということは、外国人の友達と意思疎通が取れなくなることであり、新たな外国人との出会いを発展させられないことである。そんな悲しいことがあっていいのだろうか。いや、いいはずがない。
帰国後は中国語に加えて、英語の勉強にも磨きをかけよう!と、ベトナム人とシンガポール人の会話を聞きながら、心に誓ったのだった。