わたしはわたし👞

~国内外を転々としながら楽しい生活をめざして奮闘中~

香港人とイラク生まれのサウジアラビア人のハードな人生

「成田空港に着いた時、1万5000円しか持ってなかったんだ」

と私の前に座っている香港人は言った。

「浅草へ向かったよ。どこで夜を明かそうか悩んで、マクドに入った。金を使わなくても済むように、誰かが食べ残したトレイを自分の席に持ってきて、あたかも客であるかのように装ってね」

英語と中国語の言語交換イベントに参加したときに、私の周りで繰り広げられていた会話である。

30代後半くらいと思われるこの香港人は、訛りの強い北京語と英語を話した。外見はちょっぴり芸人の「ウドちゃん」に似ている。香港人の父親と、香港に不法滞在していたベトナム人の母親に連れられて、小さい頃は海外を転々としながら暮らしていたのだそうだ。

彼自身も成人してから、4年くらい世界中を旅しながら暮らした経験があるらしい。しかし、ついに金は底をつき、たまたま日本にやってきた。一時はホームレス生活を余儀なくされたが、今は沖縄で、香港人と台湾人をターゲットにしたダイビングショップを経営している。

「金を使わずに腹を満たす方法を知ってる?レストランへ入って、食事を残している女性客に声を掛けるんだ。『Finish?(食べ終わりましたか)』って店員を装って。そうやって引き上げた残飯を食ってたよ」

そんな生活から、一体どうやって今の生活を作ったのかと聞くと、沖縄に滞在していた香港人の知り合いが助けてくれたのだそうだ。沖縄行きのチケットを工面してくれ、仕事を探しも手伝ってくれた。本人曰く、この香港人はダイビング業界で名の知れた存在らしく、最終的には、友人と2人でダイビングショップをオープンするに至った。

日本に暮らして9年になるが、「本音と建て前」をはじめとした日本文化に馴染めず、さらに日本語があまり話せないこともあり、いろんな生きづらさを抱えているようだ。

なかなかハードな人生・・・。

彼の何が一体、4年も世界を転々としながら生きて行かねばならない状況にさせたのか気になる。それに、どうして日本には、そんなに長く住む気になったのだろう。

香港にはもう帰らないのだろうか

「へぇ、お腹を満たすために、そんな方法があったとは!賢いね。僕も金がなくて、何日も水しか飲めない日があったよ・・・着ていた服もみすぼらしかった」

と遠い目をして語るのは、私の右に座っている、イラク生まれのサウジアラビア人の青年だ。

彼は高校生の時に、サウジアラビアに暮らす両親の反対を押し切って単身来日。その後、英会話講師やホテルのアルバイトなどをしながら日本語学校に通い、今はシステムエンジニアとして働いている。きれいな英語と日本語を話し、品の良さが漂っていた。きっとサウジアラビアでは、貧しくない家庭で育ったんじゃないかと思う。

「父は僕にトルコへ留学して、医者になってほしかったんだ。でも、僕は医者になんてなりたくなかった」

イラクのパスポートを持っている彼は、アメリカやヨーロッパに移住したかったが、政治的な問題からビザが下りないことはわかっていた。それで、中国、韓国、日本へビザを申請し、ビザが下りた日本へ来たという訳だ。

2人とも、なんという人生を送っているのだろう・・・。

あまりの人生の重たさに、私はなんだか、ため息がこぼれそうになった。

~続く~