きっかけは、「深夜特急」だった。
「深夜特急」は、26歳だった沢木耕太郎が、約1年かけて、香港からユーラシア大陸を横断し、ロンドンをめざした旅行記だ。1974年のことである。
本書には、著者が異国をほっつき歩く様子が、臨場感たっぷりに描かれている。
紙面からは、まるで、インドの香辛料が香り、東南アジアのねっとりとした暑さまでもが伝わってくるのだ。私は現実の世界が退屈でたまらなくなると、この本を読んで、脳内旅行をした。
それに、沢木耕太郎の身軽で自由な生き方にも憧れた。
通勤で雨に濡れるのが嫌だったとかで、大学卒業後、入社した会社を1日で辞めた。その後、売れっ子のフリーライターになるも、人生が固定されるのを恐れて、すべての仕事を断り、旅に出てしまった。特に計画も練らずに。
私はと言えば、板金やらブロー成型やら、わけのわからない専門用語に奮闘しながら、医療機器を製造するための部品を調達していた。鉄や銅の塊にそこまで熱くもなれず、また、同じことをただ繰り返す日々にうんざりしていた。
仕事を辞めて、世界一周してみたいと本気で思ったこともあったが、帰国後に再就職できる保証はない。一歩を踏み出せずにいた。
「奨学金の返済がまだ残っているしね」
などと言い訳して、ついには諦めてしまった。
安定はしていても、つまらない人生を歩もうとする自分が、窮屈でならなかった。
ただ「深夜特急」を読んでから、自分の殻を破ろうとするかのように、休暇を取っては海外をひとり旅するようになった。
旅をしていると、さまざまなトラブルに見舞われる。
カンボジアで、氷にあたってひどい下痢になり、病院送りになった。ラオスの宿でシャワーを浴びようと全裸になった途端、見たこともない大きなゴキブリが現れた。インドの宿で電気と水道が止まり、シャワーも浴びられないし、トイレの水も流せなくなった。
愉快だった。
日本で、安全だけれど刺激のない日々を送るよりも、アジアでトラブルに遭いながら旅をしている時の方が、自分が活き活きしているような気がした。
次第に、自分の旅の体験談を人に伝えたくなり、エッセイを書き始めた。
いつか「深夜特急」のような、読んだ人が荷物をまとめて、旅に出たくなるような旅行記を出版したい。こう話すと、大抵の人は鼻で笑った。
大丈夫。私はまだ40歳。
平均寿命から言えば、あと45年くらい、エッセイを書く練習ができるんだから。