シンガポールの滞在はあと1日。明日はタイのチェンマイに飛び、お寺で瞑想修行をすることになっている。今日は、自分がシンガポールに住んでいたときによく行った場所を訪れながら、昔を懐かしむことにした。
当時、通っていた日系美容院の下にあるオープンカフェへ行き、ショッピングセンターのフードコートで普通の味のチキンライスを食べ、いつも買い物していたスーパーに立ち寄り、屋台の並ぶホーカーで恐ろしく甘いコーヒーを飲んだ。
どこもかしこも、いろんな思い出であふれていたが、一番よく思い出したのは、昨日会った占い師のテオさんしかり、私がこの国で出会った人たちのことだった。
(あぁ、このカフェであの人と、コーヒー片手に何時間もいろんな話をしたな・・・)
(ここの改札で、彼女に、30分も待たされたな・・・)
(あぁ、私もあんなふうに、通っていた写真の学校の先生からレクチャーを受けたな)
(あの学校で、日本語教師をしたなぁ。みんな元気だろうか)
もし私が夫のシンガポール赴任についていかなかったら、この人たちと出会うことはなかっただろう。シンガポールという、第二の故郷ができることもなかった。夫の海外赴任に帯同しないということは、こういう素晴らしい人との出会いや新たな可能性の芽を自ら摘み取ってしまうことでもある。
しかし、素晴らしい人との出会いも新たな可能性も、ただ単に夫の赴任についてけば手に入るというわけではない。シンガポールが第二の故郷と言えるまでには、多大な苦労をしたのだ。環境の変化にメンタルが追い付かず、不眠、帯状疱疹、適応障害、過敏性腸症候群を患った。それでも仕事を探し、いろんなイベントに参加して友人を作り、積極的に現地の人と交流するようにして、自分の生活を一生懸命つくっていった。この苦労を言語の通じない国で、またするのかと思うと気が滅入る。
それに、もう1つ、自分の今後の人生について疑問がある。それは、これからも夫についていくだけの人生でいいのかということだった。
結婚してからずっと夫の転勤についていき、その転勤先で自分ができることを探して、いろんなことに挑戦してきた。もちろん、それで自分の新たな可能性が開けることもあった。
しかし、自分の人生が常に夫の人生の枠の中でいいのか?これからもずっと他人の人生の中だけで生きて行くのか?それで自分が85歳になった時に、本当にこれで良かったと思えるのだろうか。
夫の転勤についていくことありきで自分の人生を考えるのではなく、自分の人生が真っ白な状態だったら、私は一体どんなふうに生きて行きたいのかを考えるべきなのでは?40歳になった去年、そんなふうに思うようになった。
夜に、そんなことをぼんやりと考えながら、私の一番好きなシンガポール料理バクテーを食べていた。
ふぅ・・・お腹が一杯。
さて、一旦、日本に引き返すか・・・。
色んな不安を抱えたまま、世界一周などしても実りが少ない。
それに、残り少ない夫との平穏な生活を楽しむことの方が大切だ。
そんなふうに思った後に、また夫との生活を優先していることに気づいて、おかしくなったのだった。