世界一周ルートをワンワールドのウェブサイトで組んでいるのだけれど、なんだかうまくいかない。ストップオーバーの回数が多すぎるだとか、便がないだとか、ビジネスしかないだとか・・・。
それにしても、あらかじめカッチリすべてのルートを決めるのは、なんだか気が進まない。気分屋の私は、どこでどんなふうに気が変わるかわからないのだ。タイのお寺で瞑想修行をする予定だが、もしかしたらもっと修行を積みたくなって、スリランカのお寺に行きたいと思うかもしれない。それなのに航空券のルートがすべて緻密に決まってしまっていたら、身動きが取れなくなる。
脳内会議が始まる。
私A:遠いのにわざわざアメリカ大陸に行かなあかんのかね?でも、アメリカ大陸に行かんと、世界一周にならんな・・・。
私B:ユーラシア大陸横断やったらあかんの?自分の好きな旅行記「深夜特急」って、ユーラシア大陸横断やで。
私C:物理的に世界を一周したいのか、行ってみたかった国に行きたいのか、旅行記を書きたいのか、そもそも何をしたかったんや?
訳が分からなくなってきたので、一旦、近所の公園で頭を冷やすことにした・・・。
広々とした湖の畔でぼんやりしていると、頭の中が整理されていく。
もともと世界一周をしたいと思っていた会社員の頃は、将来のことなど何も気にせずに、好きなことを自由にしてみたかったのではないか。何の制約もなく、行きたいところへ自由に行ってみたかったのでは?
あの頃は、安定したつまらない生活を維持することが最優先で、安定を脅かすかもしれない「ワクワクすること」などできなかった。そんな自分が窮屈だった。「好きなことを自由にする」ことで、窮屈な自分とサヨナラしたかったのでは?
そうすると、今回、カッチリと世界一周ルートを組むことは正しいのだろうか。行きたいところへ自由に行った結果、世界一周することになるならいいけれど、世界一周するために、行きたくないところへ行くのは本末転倒のような気がする。いつからか「世界一周」という言葉だけが一人歩きしていたようだ。
(今回は自分の好きなところに、自由に行かせてやろう)
何もかも100%無制限というわけにはいかないが、ある程度の予算と旅行期間の中で、自由に旅することにした。つまり、世界一周航空券は買わずに、片道チケットを買いつないで、その時々で行きたい国へ行く。
その結果、ユーラシア大陸横断になるのか、世界一周になるのかはわからないが(アジアにずっと居続けてしまったらどうしよう笑)、いいじゃないか。世界のどこに行ってもいいという条件下で、自分がそうすることに決めたのだから。
それこそが私にとっての「自分の好きなことを自由にする」ということなのかもしれない。