わたしはわたし👞

~国内外を転々としながら楽しい生活をめざして奮闘中~

宙ぶらりんな日々の焦り

ビザの取得に時間がかかるとかで、夫のパスタ国への引越しがいつになるのかがわからなくなった。秋までには旅立つというが、具体的な時期は未定だ。

もともと5月に引越しするというから、それに合わせて引越し手続きを調べたり、自分の身の施し方を考えたりしていたので、参ってしまう。仕事を辞めてしまった私は、新たな職を日本で探すこともできなければ、パスタ国で機会を見つけることも現時点ではできない。宙ぶらりんな状態をどうすればよいのか分からず、毎日を無為に過ごしていた。

夫がパスタ国へ引越しする秋までに、もともと2月にしようとしていた世界一周旅行をすればよいのでは?とも思ったが、今年の後半に海外移住というしんどいイベントが待ち構えているので、今、エネルギーを使うことをする気にはなれない。

(はぁ・・・)

ふと、近くにあるサルサダンス教室のホームページをのぞいてみる。そこには男女がノリの良い音楽に合わせて楽しそうに踊る動画があった。どうせ秋まで膨大な時間があるのだし、近所のサルサ教室にでも通おうかな。

(お前、世界一周して、キューバでサルサを習うんじゃなかったのかよ)

そんな声が自分の内側から聞こえてきた。

本来なら2月21日に日本を旅立って、南インドでケララ料理作りを習得し、トルコでイスラム文化に身を浸し、エジプトで国民食のコシャリを食べて、エジプト美女を観察。その後、スペインに渡ってキューバへ飛び、サルサダンス教室に通う。最後の力を振り絞ってメキシコへ飛び、カナダへ渡り、日本へ帰ってくる予定だった。

予定通り旅をしていれば、もしかしたら今頃、キューバでサルサを習っていたのかもしれない。

それなのに、今日、私がしたことと言えば、最低限の炊事と近所の猫カフェへ行っただけ・・・。

私は一体なにをしているのだろう?

(世界一周する気がないのなら、せめて南インドぐらいへは行って、ケララ料理作りを習得して来たらどうなんだ?秋までずっとぼんやり過ごす気かよ)

(お前、ずっと旦那の人生に自分の人生を合わせる気かよ)

内なる自分があおってくる。

南インドか。確かに南インドくらいなら行く元気があるかな。

シンガポールで乗り継ぎだから、とりあえずシンガポールへ行って、インドへ渡るかどうか決めればいいか。シンガポールだと出国チケットを持っていなくても、入国できるし。

よし、まずシンガポールへ行こう。

ミドルウェイはどこだ・・・

充実した生活を送るために、いろいろ研究していたのだが、ふと思った。

(生活は充実していなければならないのか?)

私は毎日を充実させようと、躍起になっていた。

朝、自分にとって大事なことリストを眺めては、今日のテーマを作り、それに沿ったアクティビティを考えて一日を過ごす。

確かに有意義に過ごせる確率は高くなったが、なんだか無理をして自分に充実した生活を強いているような気がして、疲れてしまった。

そこで、あるチベット仏教僧が言っていた「良いとか悪いとか判断するのではなく、物事をありのまま受け止める」を実践してみることにした。

この考えで行くと、一日が充実していればOKだし、充実していなくてもOK。いや、充実している、していないという判断すらせずに、ただ自分の一日を送るだけ。自然に送られた一日と共にいるだけといった感じだ。

一日の充実感のみならず、自分自身に対しても適用できるのではないか。「こんな自分じゃダメ!」などと思わずに、そのままの自分とともにいるだけ。

この考え方で約1週間過ごしてみたが、さまざまな発見があった。

まず「生活が充実していても、していなくてもOK」という考え方は「充実した生活を送らなければならない」という考え方から解放されて、楽になれた。

「あぁ、もう充実させなくてもいいのね」ということで、今週、ほとんど自宅に引きこもって、本を読んだり、ネットで調べ物をしたりして、自分のやりたいことを罪悪感なくできた。

特にやることがなくなると「あぁ、やることがなくなったわ」と、やることがなくなったことを受け入れる。「何しようかねぇ」「ボーっとしとくか」という自分を受け入れる。無理にやることを探したり、外に出て気分転換させようとしたりしない。

今までなら手持ち無沙汰になると「何かしないと!」という焦りが生じた。しかし、手持ち無沙汰の状態を良いとか悪いとか判断せずに、ただ「手持ち無沙汰である」と認識して、そのまま受け入れると焦らなくなった。焦りは、自分にとって何か悪い状態になると引き起こされる感情であるため、良いとか悪いとかいう判断基準がなくなってしまうと、発生しなくなるようだ。

一方、ありのままの自分を受け入れ続けた弊害もある。

「あぁ、私、運動したくないのね。じゃあ、運動したくない自分とともにいよう」

「甘い物を食べたい自分を受け入れよう(モグモグ)」

「何もやりたくない?やらなくてもよし」

その結果、1kg太ってしまった。

ゴムが伸びてだら~んとした状態になり、生活にハリがなくなった。

私がしていたことは、ありのままを受け入れるというよりも、単に自分を甘やかしただけでは?やはり、ある程度、自分をムチで打たないと、自堕落な生活に一直線だ。

お坊さんの動画をもう一度よく観ると、こう言っていた。

「肩に力が入りすぎても、緩みすぎてもいけません。バランスが大事です。ミドルウェイ(中間)を見つけてください」

う~ん、自分にとってのミドルウェイはどこなのだろう。

とりあえず、自分にムチを打って1kg痩せないと・・・。

「インドにまたいらっしゃい」

本来なら3月は、インドのケララ州で南インド料理を習う予定だった。

しかし、夫の海外赴任を突然聞かされ、自分の今後の生活が脅かされる不安から、インド旅行は立ち消えとなった。

詳しくはこちらの記事をご覧くださいませ。

tenkinzokunoashiato.hatenablog.com

あの悪夢から約1ヵ月。シンガポールの占い師やカウンセラー、友人などの助けを借りて、随分と回復した私は、また性懲りもなくインドのビザを申請した。しかも、いつも申請している有効期間30日ではなく、今回は1年のビザだ。

インドのe-visaは年2回までしか申請できない。私は先月すでに申請しているので、残りはあと1回。今回、南インドへ料理を習いに行きたいのだが、別のタイミングで北インドのダラムサラも訪れたいので、有効期間の長いビザが必要だった。

1年のビザの申請料を払おうとすると、インドのビザ申請システムから「USD25」を請求された。これは30日のビザの申請料なのだが、本当に正しいのだろうか。ネットでは確か1年のビザはUSD60と書いてあったように思うのだが。8回もインドを訪れているから、お得意さま価格みたいなものが適用されたのか、単にインドのシステムが故障しているのか・・・。後から追加で払えなどと言われなければよいが。

30分くらいかかって、午前11時くらいにすべての手続きを終えた。インドのビザの申請は結構面倒で、両親の名前と出生地まで入力させられるのだ。承認されるまで、インド行きの飛行機でも調べておくか。

「ピコーン」

22時頃、瞑想をしていると、メールが届いた。

なんとインドのビザがもう下りたではないか!申請した当日に承認されたのは、これが初めてだ。

しかも、よく分からないが、30日分のビザの申請料しか払っていないのに、なぜか1年間有効なビザが与えられた。一体、どういうシステムになっているのだろう?

私はなぜか1年間有効なビザが与えられたことに、えらく興奮してしまった。累計の滞在日数が180日を超えないこととなっているが、これで1年間、複数回インドへ行きたい放題なのだ。

「でも複数回ということは、10回未満ってこと?」

と夫に聞くと

「そんなに行かんでしょ!」

と突っ込まれた。確かに仮に9回だとすると、1カ月に1回インドへ行く計算になる。確かにそんなに何回も行けない。

ただ「インドへ行きたい!」と思ったら、すぐに行ける権利が与えられたことがうれしかった。それに30日と言わず、180日以内であれば「ダライ・ラマにお会いするまでダラムサラから離れない!」といったわがままもできるわけだ。

去年ダラムサラで出会ったチベット人から聞いたのだけれど、ダライ・ラマへの面会希望リストに連絡先を書くと、いつ何時に会いにお越しくださいという電話がかかってくるのだそうだ(そのチベット人もそうして法王にお会いしたらしい)。ただし、インドの電話番号が必要で、しかも1カ月以上滞在していないと難しいとのこと。

それにしても、こんなに早くビザが下りるなんて。

「インドにまたいらっしゃい」

と言ってもらえているような気がして、心が温かくなったのだった。

サイゼリヤの罠

なんだか冷凍じゃないピザが食べたくなり、サイゼリヤへ行くことにした。

近所の駅チカにある店舗に18時半くらいに行くと、店内はもうすでに満席に近かった。サイゼリヤがこんなに繁盛していたとは。

ワインでも飲むかと思ってメニューを見たら、なんと1杯100円(税込み)ではないか!なんという安さ。メニューにピザを見つけたけれど、グラタンも気になる。グラタン皿を捨ててしまったので、自宅でグラタンを作れないのだ。なぜグラタンが好きなのに、グラタン皿を捨てたのか自分でもよく分からない。私はたまに必要なものも捨てるクセがあるようです。この機会を活用して、グラタンを食べるべきか悩む。

ピザを食すのかグラタンを食すのか?注文する時の自分に決断を委ねることにした。注文を取りにお姉さんがやってきた。

「グラスの赤ワインと、アスパラの温サラダ、えぇっと・・・バッファローチーズのピザをお願いします」

やはりお前はピザを食べるのか。

「おまたせいたしました~」

はやっ!多分5分くらいで、全部一緒に運ばれてきた。

1杯100円のワインは一体どんな味なんだろと、訝しげに口に含んでみると、値段の割に悪くなかった。ピザは小ぶりだけれど、ぎゅっと詰まったチーズがおいしい。茹でたてでまだ温かいアスパラには粉チーズとオリーブオイルがかかっている。こんな食べ方もあったんだなぁ。自分でも作ってみよう。

食べるのが早い私は、5分くらいで全部平らげてしまった。

(ちょっと足らんな、これ)

サイゼリヤは値段が安い分、1品当たりの量がちょっと少ないようだ。これだと寝る前にお腹が空いて、麵などを食べかねない。

もう1品食べたいなぁと思い、メニューをパラパラめくる。グリルチキンに目が留まったが

(いや、それはあかんよ。メインのおかず2食たべることになるやん)

と脳内の自分に却下されてしまった。会計伝票をチェックすると、900円とある。

(え?もう900円も食べたんかいな)

私は既にピザとアスパラガスとワインを食している。

値段と摂取カロリーを鑑みて、ペペロンチーノと1杯100円の白ワインを追加注文することにした。

「おまたせいたしました~」

ペペロンチーノも自宅で作るのが難しい料理のうちの1つだ。作っては何が悪いのか失敗する。味がゼロなのだ。このペペロンチーノはもうちょっと塩を多めにして、麺が硬めだといいのだが、300円くらいだから文句は言えない。

(やばい、食い過ぎた・・・)

麺を口に運ぶスピードが明らかに落ちてきた。腹がいっぱいすぎて、白ワインを全部は飲めなさそうだ。ちょっと足らないくらいでやめておけばいいものを・・・。運動もかねて自宅から店まで、約20分かけて歩いたのが台無しだ。

「1300円になります」

安いからと思ってサイゼリヤに来たのに、結局、普通の定食屋でカキフライ定食などを食べたのと同じような値段になってしまった。

私はサイゼリヤの罠にまんまとハマったようだ。

安いワインで満腹中枢を破壊した後、小ぶりのおかずで物足りなさを感じさせ、追加注文へと導く・・・。

でも、私はまた来てしまうに違いない。だって、安くてそこそこおいしいんだもん。

閉めようとしたのに閉まらないドア

付き合いがいちばん長かった取引先へライターを辞めると告げた。

「夫の海外赴任に帯同するので」という理由にしたが、本当はそれが真実ではないことを私は知っていた。海外でもライターの仕事はできる。もともとシンガポールに住んでいた頃にライターを始めたのだから。

では、なぜ辞めるのか?

自分の書いている文章に自信が持てないことや、これ以上、人との関りが極端に少なく、自宅でひとりで文章を書くライフスタイルを続けたくなかったこと。何か新しいことに挑戦したくなったなど、いろんな要因が重なったのだと思う。人生を少しリセットしたかったのかもしれない。

(これでライターは終わりだ)

メールを送信した後、スッキリした気分でいたら、連絡した取引先から予想外の反応が返ってきた。

「また何かを依頼することがあるかもしれないので、そのときは検討してください」

と言う。

しかも、メールの締めくくりが「今後ともよろしくお願いします」だ。

え?

思わず吹き出してしまった。

ただ、そんなふうに言ってもらえたことが、純粋にうれしかった。

そして、なぜか、文章や写真のスキルを磨いておくかな・・・。せっかく身に着けたスキルだもんな。とまで思ってしまったのだ。

私は今まで、自分が書いている文章や撮った写真など、他のもっと経験豊かでスキルの高いライターやカメラマンに比べれば、未熟で価値の低いものだと思っていた。

もちろん上を見ればきりがない。

しかし、それでも、少なくとも、ずっと仕事を依頼してくれていた取引先の役には立てていたのかもしれない。誰か1人くらいは私の旅行記事を見て、今度行ってみようかなと思ってくれた人がいたのかもしれない。

「文章を書く」ことと、今後どう付き合っていけばいいのだろう。

・・・。

ライターという部屋のドアを完全に閉めようとしたつもりが「まぁまぁ、開けておけばいいじゃない」という感じで、半開きのままになってしまった。

ライターとして作った名刺は、しばらく取っておくかな。

チベット仏画教室の不思議

月1回、チベット仏画教室に通っている。

ブータンやインドのダラムサラなど、チベット文化圏を旅するのが好きで、チベット仏画に興味を持った。チベット仏画は日本の仏画よりも色鮮やかで、絵がとても複雑。「こんな美しい仏画を描けるようになれたらいいな」という憧れと、仏画を描くことですさんだ心をきれいするために通い出したのだった。

ダラムサラで買ったチベット仏画

仏画教室が行われているのは、とあるチベット料理店。店内には、タルチョと呼ばれる経典が書かれたカラフルな旗や、チベット仏具などが飾られていて、まるでチベットにいる気分。昔、自分が旅したチベット文化圏の記憶がよみがえり、胸がいっぱいになる。

先生は日本語がペラペラなチベット人の仏画絵師で、教えるのがとても上手。仏画の見本をもとに、どの線をどの順番で引いていけばいいのかを教えてくれる。あれこれ細かいことは言わずに、生徒が見よう見まねで描くのを温かく見守ってくれるのがいい。描いた絵を見て「この線はもう少し上に描くといいですね」などときちんと指導もしてくれます。

異国感あふれる店内でチャイを飲みながら、仏画を描くのに没頭していると、なんとも言えない心地良さに包まれる。

去年、インドのダラムサラで参加した、チベット仏画体験とはえらい違いだ。

ダラムサラの仏画教室の先生は「伝統通りにやらねばならないのです」とのことで、指導が非常に細かかった。私は心を整えるために仏画をちょっと描きに来たのであって、仏画絵師になるために門を叩いたのではない・・・・・・。

チベット仏画を描く時は、白紙に縦横の線を決められた間隔で引き、その線をもとに仏画の見本を模写していくのだが、この線を引くのが難儀だった。なぜか定規を使わずに、短冊をなが~くほそ~くした紙を使って、線と線の間隔を測るという謎の伝統が強いられる。しかも、引いた線が0.5mmずれただけでも

「やり直しです。線がずれると、正確に仏画を描けなくなる」

とのことで、おおざっぱな性格の私は発狂しそうになった。早く終わってくれ!と思った。

線を引くのにやたらと時間がかかったおかげで、仏画を描く時間が残っていない。後で、この仏画教室を運営しているインド人のマダムに仕上がりを見せないといけないのに。

(ヤバい。このままだと、何も見せられんぞ!)

私は、先生が「とにかくゆっくり描いてください。全部描ききれなくてもいいから」と言うのを無視して、超特急でブッダの顔を描いた。先生はもはや私を指導するのは諦めたようで、私が雑に仏様のお顔を描くのを無言で眺めていた。

ダラムサラでの出来事を思うと、いま通っている教室は天国だ。心穏やかな先生がおおらかに教えてくれるのだから。

それにして、全く同じブッダの顔を描くのでも、先生の教え方ひとつでこんなに楽しく感じるようになるのだから、人間の心は不思議なものです。

てんぷら粉のフィッシュアンドチップスと映画

「よし。今日は英語の勉強にしよう」

自分の大事なことに時間を使って、充実した一日を送れるように、毎朝、今日のテーマを決めるようにしている。

先日作った「自分にとって大事なことリスト」の中からテーマを1つ選び、そのテーマに沿って一日のアクテビティを考えるのだ。

今日は英語をテーマに、どうやって一日を有意義に過ごそうか。普通に勉強してもつまらないし、どうせやるなら楽しく学びたい。英語を勉強するというよりも、西洋文化を楽しみながら英語に触れるのはどうだろう。

とりあえず、フィッシュアンドチップスでも食べに行くか。

昔、ロンドンをひとり旅した時に、食事がマズイことで有名なイギリスで、唯一おいしいと思った食べ物だ。ネットで調べてみると、梅田にあるパブが昼からフィッシュアンドチップスを出しているのを発見。さっそく行ってみることにした。

電車に乗り込み、洋書を読んだり英語のポッドキャストを聞いたりしながら、大阪駅で下車。北新地駅方面へ歩いて、パブのある大阪駅前第1ビルの地下へ通じる階段を下りる。

一体どんな感じのパブなんだろうとワクワクしながら、劣化の進んだ市民病院を思わせるようなフロアを歩いていると、場違いなほどに素敵な「パブ・シャーロックホームズ」が現れた!

(うわぁ~めっちゃいい感じの店やなぁ)

重厚感があるクラシカルなインテリアに包まれて、本当にロンドンのパブにいる気分だ。大阪のうらぶれたビルの一画にこんな素敵な空間を造れるなんてすごい。

実際にイギリスにあるパブをモデルにしたそうで

「店の壁紙やガラスなどをイギリスから輸入したんです」

と、笑顔の素敵な店員さんが教えてくれた。

店内をキョロキョロしながら料理を待っていると、熱々のフィッシュアンドチップスとジンジャービア(ノンアルコールだからジンジャエールみたいなもんです)が運ばれてきた。

日本でフィッシュアンドチップスを食べる時にいつも不思議に思うのだけれど、なぜイギリスみたいにタラをパン粉で揚げずに、てんぷら粉みたいなもので揚げるのだろう。本場と同じようにパン粉で揚げてほしいのだが、どこで食べてもてんぷら粉(なのか?)を使っているから、何か理由があるのだろうか。

西洋の食文化を堪能した後は、アメリカ映画「アバウト・ライフ」を観ながらリスニング力を鍛えることにした。

この映画は、歳を重ねて味気なくなった結婚生活や人生に虚しさを抱えている夫婦がW不倫をして、新たな人生の意義を見出していく話。老いることで人生の中に希望を見出すのが難しくなっていく切なさや、人生に虚しさを感じているのは自分だけではないのだという安心感が感じられた。あっという間の90分だった。

aboutlife-movie.jp

気づけば、もう17時。

(今日は充実していたな)

最寄駅から自転車で自宅へ帰る途中に思った。

英語が勉強できたかどうかは別として(汗)、ワクワクしながら新しい場所を訪れ、店員さんとのおしゃべりを楽しみ、フィッシュアンドチップスを食べながらロンドンをひとり旅した頃の自分に思いを馳せ、映画を観て心を揺さぶられた。

たくさん収穫があったのだ。

よしよし、私よ。その調子だ。いろいろ試行錯誤して、自分なりの充実した生活の作り方を習得するんだ。

さて、明日はどんなテーマで、充実した一日を過ごそうかな。