わたしはわたし👞

~国内外を転々としながら楽しい生活をめざして奮闘中~

充実した生活の研究 ~自分にとって大事なことは何?~

昨日、「人生が充実する時間のつかい方」という本の紹介動画を観て、いくつかあるヒントの中でも、「自分にとって価値のあることに時間を使うこと」をまず実践すると決めた。

今日、探求したいのは「自分にとって価値のあることは何か」ということです。

「価値のあることは何か」と言われても、少しイメージしずらいので「自分にとって大事なことは何か」を考えてみることにした。以下の質問を自分に投げかけて、ワードに思いつくままタイプしていく。

  • 自分にとって「これは大事」と思うことは何?
  • 「これはゆずれない」といったこだわりはある?
  • なくなると困る時間は何?

整理すると、大事なのは「心身の健康」「家族・友人」「お金」「ミニマリズム」「身なりを整える」「内省する時間」「静かな時間」「余白の時間」「語学の勉強」「自然」「人の笑顔を見られる機会」。ふむふむ。こういうことが大事なのね。

さらに、その横に、なぜ大事なのか理由を追加してみる。

  • 心身の健康が損なわれると、何もできなくなる。その通りだ。
  • 家族関係が悪くなると、安心して生活できなくなる。
  • 友人とは、楽しい時間を過ごせる。外国人との交流が好きなのは、異なる文化や価値観を知れて刺激的だからだ。
  • 部屋に物が多いとイライラして、心が乱れる。
  • 静かに過ごせる時間がないと、頭の中がいっぱいになり、心の余裕がなくなる・・・など。

そうかそうか。そんなふうに思ってたのね。

忘れないように「大事なことリスト」を作り、印刷しておくことにした。このリストの中から毎日取り組むことを選べば、必然的に自分にとって大事なことに取り組むことになり、一日の充実度が上がるはずだ。

このリストを作ったことで、大事にしたいことを守るために、どんなことをすればいいのかがよくわかった。たとえば「心の健康」が大事だと思っているが、一体どうやって「心の健康」を守るのか知らない。調べてみよう。「友人」が大事だと言う割に、積極的に連絡を取ったり、一緒に出掛けたりしていないなぁ。連絡してみようかな。「身なり」が大事なら、なぜブクブク太っていっているのを許しているのだ?食事制限や運動はしないのか?

・・・ひえぇ~!!

なんだか急にやることがたくさんできて、忙しくなってきた!昨日までの、時間を持て余して「今日が早く終わってくれ!」と祈っていた自分はどこへ行ったのだろう。

ところで「大事なことリスト」に「ブログを書く」が入っていないのは、どうしてでしょうね(汗)。

充実した生活の研究 ~時間の使い方(暇だと不幸になるらしい)~

「充実した生活って、一体なんだろう」

と思い、Youtubeで「充実した生活」と検索すると「人生が充実する時間のつかい方」という本を解説した動画を発見。

時間の使い方と幸福度の関係性を専門にしているアメリカの大学教授が執筆した本で、動画を観た後には、これからどのように試行錯誤すればよいのかが分かりました。

www.youtube.com

動画には、幸せな時間の使い方と、幸せではない時間の使い方が紹介されている。自分がどのような時間の使い方をしているのか、先週1週間の行動記録表を見てみると愕然とした。私は見ごとに、幸せからはほど遠い時間の使い方をしているではないか。

たとえば、人が幸せを感じやすい1日の自由時間は、2~5時間なのだそうだ。短すぎるとやりたいことができなくて辛いが、長すぎても人生に生産性を感じなくなるとかで、逆に不幸せになるとのこと。

ライターを廃業し、無職となった私の自由時間は、朝7時に起業し、就寝する23時までの16時間!・・・長い、長すぎる。持て余した時間をどう使えばいいのか分からなくて、「今日が早く終わってくれ!」と祈ることがある。

それから、人間は本来、外で生活する生き物だったので、外にいる方が幸せを感じやすいのだとか。天気や活動内容に関係なく、外で時間をすごしたほうが幸福度が高くなるという研究結果もあるのだそうだ。

ははぁ~ん。だから、家にずっといると、気が滅入ってくるのか。1時間~2時間くらいは外で過ごすことはあっても、大半を家の中で過ごしていたから。これからは自宅でしていることを外でできないか考えてみたい。PC作業は図書館の自習室やカフェでするとか、たまには市営ジムで運動するとか、もっと公園でランチをとるとか。ただね、まだだいぶ寒いんです(泣)。

そして、「こりゃもっともだ」と思ったのは「無意味なことに時間を使うと、幸せでなくなる」だった。

「当たり前だ!」と言いたくなるが、実際に自分の1週間の行動記録表を見てみると、自分にとって価値があると思うことにほぼ時間を使っていない。クローゼット内の整理とか、別に今しなくてもいいような雑務や、何をしていたのかすらわからないようなダラダラした時間も結構ある。中身がないのだ。そりゃあ、生活の充実度も低くなる。私は放っておくとオートパイロットモードで生活して、頭を使わなくてもいい難易度の低いことしかやらなくなるようです。

他にも、充実した生活を送るには「誰かと一緒に過ごす」とか「没頭する時間を持つ」とか、いろいろなヒントが紹介されているので、ぜひ参考にしたい。これさえ知っていれば、どこで暮らしても、充実した生活を作ることができる。

まずは「自分にとって価値があることに時間を使う」から始めようかな。私にとって、これが肝のような気がする。

でも「自分にとって価値があること」って、何だろうな・・・。

充実した生活を送ろうと思うと、自分といろいろ向き合わなくてはならないようです。

充実した生活って何?

現在、自分の生活を絶賛見直し中です。

というのも、私は毎日ボーッと生きているだけで、自分がどんなことをしていると楽しいと感じて、どんなことが自分を鬱々とさせるのかを把握できていないのだ。それだと、充実した生活を送るのは難しい。

可能な限り、自分が楽しいと感じることで1日を埋め尽くしたい。そこで、この本で紹介されている行動記録表に、今週1週間、自分の活動内容と気分を100点満点で記録して、分析してみることにした。

まず、気分点数80点を記録した活動はこれらだった。

  • 近所の公園の池の畔にあるベンチに腰掛けて、日光浴をしたとき【自然】
  • ジョリーパスタ、こなな(これもパスタ屋だ)、焼き肉、グリーンカレーを食べたとき【美食】
  • 香港人とお茶したとき【人と話す】
  • 地域猫が私がやったエサを無心に食べているのを見ていたとき【猫】
  • 読書でイタリア人の価値観に驚愕したとき【知的好奇心】

80点はつかないが、やると気分がいい活動もある。

  • 瞑想
  • 朝ヨガ
  • 朝散歩
  • 香りの良い入浴剤を使って、ゆっくり入浴
  • ボディケア
  • 寝る前のボディスキャン(瞑想の一種)

ちなみに、私を鬱々とさせたのは、寒い日に無理やり外出することや、外出時間が3時間を超えること(疲れてくる)、人を待つこと、長時間座ること、人が多いもしくはやかましい場所で過ごすことだった。あと、何をすればよいのかわからなくなると、心がさまよい始めて、ネガティブ思考に陥るようだ。

ということは、80点が付いた活動や気分の上がることを1日の中に盛り込んで、心がさまよわないようにすれば、生活の充実度が高まるのではないか。

たとえば、こんなふうに。

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朝:

おいしい朝食

瞑想・ヨガ・朝散歩

地域猫のエサやり

人と話す仕事

昼:

おいしい昼食を、公園で日光浴しながら食べる

人と話す仕事

夜:

おいしい夕食

何かを学ぶ

ゆっくりバスタイム

ボディケア

就寝前ボディスキャン

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なんだかやることがてんこ盛りで、すべてに取り組んだら、充実するどころか疲れそうだ・・・。

やたらと忙しいことと、充実していることは別なのではないか。

満ち足りていない生活を忙しさでごまかしても、エネルギーだけが無駄に消費されて、虚しくなるはずだ。

逆に時間に余裕のある生活の中に1つだけでも、心が満ち足りることがあれば、充実した生活を送れるような気がするが。

ところで「心が満ち足りる」とは、一体どういう状態なのだろう。

・・・・・・。

充実した生活への改革は続く。

ライターの廃業と新たな門出

2017年から始めた「執筆業」の廃業届を出した。

細々とではあったものの、約7年間も文章を書いて報酬を得られていたとは、驚きだ。私のもっとも長いキャリアは、会社員時代に約10年間たずさわっていた海外取引先との折衝業務だが、気づけば、ライターとしてのキャリアはそれに匹敵するくらいの長さになっていた。

文章を書くのは好きだったが、実は、ライターになろうと思ってなったわけではなかった。

シンガポールに住んでいた頃に、異国生活の苦労を吐露したり、暇をつぶしたりするために書いていたブログを、とあるウェブメディア関連の会社が読み、シンガポールのオススメスポットの記事を書かないかとオファーしてくださったのがきっかけだった。

会社員時代に約1年間、とある学校のライター養成コースを受講して文章の基礎を学んだり、シンガポールの写真学校で撮影の基礎を勉強したりはしたが、それがどれだけ記事を書くのに役立っていたのかはわからない。ただ、自分が好きになったシンガポールのいろいろな場所を他の人にも知ってもらい、気に入ってもらえると嬉しいという一心で、熱心に書いていた。

シンガポールから日本へ帰国した後も、夫の転勤で転々としながらフリーライターとして活動し、書くジャンルを広げていった。旅行記事に加えて、企業を取材して原稿を書く「求人広告」や、クリニックの開業医をインタビューする「医療広告」、地域情報の発信など、ほぼライター未経験だったにも関わらず、さまざまなジャンルの原稿を書かせてもらえたのは幸運だった。

ライターの経験が浅かった頃は、得られた仕事を遂行するために一生懸命だった。取材の仕方や文章の表現などを熱心に研究し、より良い原稿を書けるように最大限の努力を惜しまなかった。ありがたいことに仕事の依頼は途切れることなく、また納品した原稿が突き返されたりクレームが付いたりすることもなかった。

しかし、私はだんだん、ライターの仕事をするのが辛くなっていった。

私の場合、仕事の全体の1割が取材で、残りの9割は自宅で黙々と文章を書いていた。つまり、大半の時間を人と関わらずに独りで作業をするのだが、これは孤独だった。しかも、自分の書いている記事がこれでいいのだろうか・・・という不安が常に付きまとい、相談できる人もいない。仕事が打ち切られないということは、きっと問題はないのだと思うが、不安を抱えたまま、独りでひたすら文章を書く孤独な生活に耐えられなくなっていった。

それから、広告を書くことも、徐々にある種の虚しさを感じるようになっていった。

広告を書く目的は、企業が作った商品やサービスをPRすることであり、主役はあくまで誰かの商品やサービスだ。つまり、うまくPRできるなら、誰が書いたっていい。

(別に私じゃなくても、他のもっと文章を書くのが上手なライターさんが書けばいいよね・・・)

独りで黙々と作業をする孤独さ、いつでも取り換えのきく存在であることの虚しさ、報酬がもらえなくてもいいから(もらえればベストだが・・・)自分にしか書けない何かを書いてみたいという想いが重なり、今回、廃業届を出すに至った。夫のイタリア赴任も、いい意味で私の背中を押したと思う。

ポストに廃業届を投函した時、何だかスッキリした。これから何か新しいことが始まるんだという、ポジティブな予感がした。

そして、今日、今年1月に受験した、カウンセラーの資格試験の合否が郵送されてきた。

急いで封筒を破ると、そこには「合格通知書」と書かれていた。

自分の人生に対して、宙ぶらりんなままでいたいのかもしれない

時々、ずっとずっと世界中を旅して、そのままどこかの国で寿命が尽きてしまえばいいのにと思うことがある。

私にとって海外は刺激の宝庫。行ったことのない国へ行けば何もかもが新鮮だし、景色の美しさに感動したり、人との出会いに心温まる体験をしたり、文化の違いに驚いたりするなど、毎日なんらかの刺激が得られる。

それに、旅行中は、その日をどう楽しむかだけを考えればいいし、私はいつも1人で旅行をするので、自分のことだけ考えていればよい。仕事をどうしようとか、将来どうなるんだろうとか、家族関係がどうだとか、老後の資金がどうだとか、面倒な問題について考えなくて済む。

つまるところ、私は、海外を放浪することで、自分が今送っている刺激のない退屈でたまらない日本の生活から逃げ出して、ずっと足場を固めずに、自分の人生に対して宙ぶらりんなままでいたいのかもしれない。

現実を直視できない、いつまでも大人になりきれない「永遠の少年」なのだと思う。

「幸せになりたければ、外に刺激を求めるのではなく、自分の内側に心の平穏を築きなさい」

と仏教では教えられる。

わかっている。幸せになるために外界から刺激をいくら得ても、また別の刺激が欲しくなる。どんどん欲しい刺激の度合いは強くなり、それが得られなくなると欲求不満に陥り、幸せじゃなくなる。

それでも、私は、自分の人生を生き生きとさせるのは、やはり刺激だと思う。

新しい場所、外国語での会話、新たな人との出会い、トラブル・・・。そういう刺激の宝庫に自分を常に浸していたい。

ビールを飲みながら夫の帰りを待っているとふと虚しくなり、そんなことを考えてしまったのだった。

イタリア式の人生の楽しみ方に衝撃を受ける

「イタリア人は人生を楽しむのが上手」と聞いたことがある。

これから住むことになるかもしれない国だし、イタリア人が一体どんな価値観を持っていて、どんなふうに人生を楽しんでいるのかを知りたい。

そこで「最後はなぜかうまくいくイタリア人」という本を読んだのだけれど、衝撃的であった。こんな価値観がまかり通るなんて「日本は一体何なのだろう」と、日本人の根幹を揺るがすような内容だった。

本を読みながら何度も驚いて、思わずメモを取ってしまった。メモにはこう書いてある。

<イタリア式の人生の楽しみ方>

  • 目先のことしか考えず、今を精一杯楽しむ
  • 「とりあえず今、自分が幸せになれるか」ということにしか関心がない。
  • 24時間以上先の予定は立てたがらない。
  • 嫌なことは後回しにする。
  • 短所は直さない。長所を大事にする。
  • 「好きか嫌いか」「美しいか醜いか」で判断する。
  • 誰に迷惑が掛かろうと、お構いなしで最後まで粘る。
  • ダメもとで人に頼む。コネが物を言う。
  • どのような場でもそれぞれの人が好きなことをするのを許容しようとする社会。

Source: 「最後はなぜかうまくいくイタリア人」

果たしてこんな生き方が許されるのだろうか・・・。我々、日本人が受けてきた教育と真逆じゃないか。

私には「人生は辛いもの」「社会の役に立たなければならない」「目標に向かって一生懸命努力しなければならない」といった人生観が無意識に植え付けられていて、「人生をただ楽しむ」なんてことをしたら、バチがあたるのではないかと思っていた。

しかし、イタリア人が自分の幸せを最優先に生きているのだったら、同じ人間の私がそのように生きても、バチはあたらないはずだ。

それにしても、この本を読んだ後に、自分がイタリア人で、日本に移住するのでなくて良かったと心底思った。これだけイタリアで自由と緩さが許容されるとなると、イタリア人が日本に住んだら地獄だろう。公共マナーをはじめ、ルールでガチガチに縛られるし、他人に迷惑を掛けてはならないし、秩序正しく物事が進むように計画性が必要なことは言うまでもない。

さらに、イタリア人と仕事をしなければならない旦那を気の毒に思った。なんせ、物事が予定通りに進まないことが常な社会みたいだから、きっと日本の本社とイタリアオフィスの間に挟まれて、多大なストレスを被るに違いない。

(イタリアでは、旦那に優しく接してやるか・・・)

イタリア式の人生の楽しみ方は「今をいかに楽しむかだけを考える」ことと心得た!

えらい目に遭う旦那には申し訳ないが、私はイタリア流にイタリア生活をしっかりと楽しもうと心に誓ったのだった。

ある香港人の処世術

パスタ国で生活するにあたって、言語が通じないことの不安を解消すべく、ある香港人の知り合いの話を聞くことにした。

彼は、芸人の鈴木ウドをもうちょっとワルにしたような風貌で、私と同学年の40歳。日本でダイビングショップを経営しながら暮らして8年になる。10年前まで、世界中を転々としていて、日本にたどり着いた頃には所持金が底をついていたのだとか。それでも手持ち金2万円でなんとかダイビングショップを開店し、もうすぐ香港にいる母親に家を買ってやるというのだから大したもんだ。

日本語はあまり話せないという彼が、一体どのようにして今の生活を作ってきたのか、いろいろと聞いてみたい。

「さっそく質問するけれど、日本語が話せなくて、孤独じゃない?」

彼の顔には「うぅっ・・・」という、軽いジャブを食らったような表情が一瞬浮かんだが、すぐに表情を立て直してこう答えた。

「香港人や台湾人をターゲットに商売をしていて忙しいから、言語に不都合はあまりない」

日本人とそんなに交流できなくても、中国語や英語を話す外国人と飲みに行ったり、つるんだりしているとのこと。ふんふん、言語が通じる人と交流すればいいのね。

「そのスキューバダイビングショップのビジネスは、日本に来る前から持っていた構想なの?」

「日本に来てからやろうと思ったんだよ。日本のダイビングショップは、外国人旅行客のニーズを満たせてなかったから」

彼は長いことダイビングをしているのだそうで、日本でダイビングをした時に「もっとこうだったらいいのにな」と思うことがあったのだろう。自分の理解できる分野で、言語が通じる民族を対象にして、どんなビジネス機会があるのかを考えたというわけか。私もパスタ国で日本人向けに、どんなことで役に立てるのか考えてみようかな。

ちなみに、彼はスキューバダイビングショップのビジネス経験はゼロだったそうだ。ただ、人脈がとても広く、いろんな人がサポートしてくれたらしい。自分が持っているリソースを最大限活用すべしと。

「世界を転々としながら暮らしていて、大半の人が大切にしている生活の安定とか保証とかと無縁のように見えるが、そういうものはいらないのか」

と聞くと、

「僕はなぜ日本人がフルタイム勤務にこだわるのか理解できない。パートタイムでも、フルタイムと収入が同等かそれ以上なら、そっちの方がフレキシブルでいいじゃないかと思う」

どこかの会社でマネージャーをしていた元カノが、残業代も出してもらえずに、あまりにも長時間労働をしているのを見て「コンビニで同じ時間働いたら?その方が収入が高くなる」と言ったら激怒され、破局したとのこと(そりゃあそうだろう)。

彼が大事にするのは「いくら稼げるか」という数字が全てであって、世間体とか、フルタイムとか、どこそこの会社に勤めているとか、一銭も金にならないことはどうでもいいようだ。

「仕事が自分のアイデンティティになっている人は多いからね。それにフルタイムなら、ボーナスが出たり、福利厚生が手厚かったりするし、パートタイムよりも生活の保証があるから」

と言ってみたけれど、暖簾に腕押しだった。

「職業は真のアイデンティティじゃない。保証が欲しければ、自分でより多くの金を稼いで増やすなり、保険に入るなりすればいいだろう」

この人はきっとこれまで、社会や会社から与えられる保証などあてにせずに、自力で生きてのびてきたのだなぁと感心してしまう。

最後に彼は二ッと笑いながら言った。

「何が自分に向いているかは、やってみないとわからない。いろいろと試してみるべきだよ。いつ死ぬかわからないのに、会社に長い時間拘束されて、やりたいことができなかったら、自分の人生に何も残らないだろう?」

今日、彼の話を聞いて、保証は自分で作る生き方や、自分にとっての実利(彼の場合は金とのことだが)に関係のないことに囚われないことなど、いろいろと参考にしたいことがたくさんあった。

私は彼のようには生きられないが、困ったときに「あの香港人なら、こういう時どう考えるだろうか」という新たな視点を得ることができたと思う。

言語の通じない日本で立派に生きている彼を見て、私もきっとうまくやれるに違いないと、どこか安心したのだった。