わたしはわたし👞

~国内外を転々としながら楽しい生活をめざして奮闘中~

私たちの”安心・安全なばしょ”はどこにある?

誰かさんがコロナに感染したおかげで、GWの欧州旅行はすっかりキャンセルになってしまった(はぁ・・・)。代わりに、今週は映画鑑賞に励むことにした。

今日、観たのは「アダマン号に乗って」というフランス映画。

longride.jp

セーヌ川に浮かんだ船「アダマン号」は、精神疾患を抱えた人たちが集うデイケアセンターだ。船内には、カフェや図書館に加えて、美術や音楽などさまざまなワークショップが行える部屋も完備されている。それぞれに複雑な事情を抱えた患者たちがここを訪れて、カフェでくつろいだり、ワークショップに参加して絵を描いたり、人と話したりしながら、安全・安心な時間を過ごす。そんな普段目にすることがない世界を、覗き見させてもらっているという感じだった。

うまく表現できないのだけれど、私はこの船に集う権利を持つ人たちを、少し羨ましく思った。もちろん、私は精神疾患を抱えておらず(現時点ではということだが)、健常者として普通の生活を送れる立場にある。しかし、私には、彼らのような「常に安心・安全に過ごせる場所」は存在しない。家庭が本来そうであるべきなのだろうが、家庭というのはしばしばやっかいな問題が生じて、戦場と化す可能性を秘めている。だから、心理的にいつでも安心・安全に過ごせる場所を、私は近くに持っていないことになる(海外にはあるが、いかんせん遠い)。

この船内の何が安全って、1人ひとりが常に尊重されていることだった。

ここには、多種多様な患者が集まる。たとえば、妄想気味の20代の男性もいれば、精神が錯乱して子どもを養護施設に引き取られてしまったという30代とおぼしき女性、10代から40年以上も精神疾患を抱えた初老の男性など。

だが、誰かが誰かを否定や非難することは一切ないし、誰かが意見を言おうものなら、皆がそれをじっくりと聞き、本人が納得できる形で適切に返答された。皆、感じている不安や寂しさを素直に打ち明けることもできた。スタッフによって、そういう運営が徹底されているのだろう。そんな守られた空間の中で、コーヒー片手に患者同士が他愛もない話をしているときの、無垢な笑顔といったらなかった。

果たして、我々に、そんな安心・安全な場所が存在するだろうか?

—駈け込んだら、いつでも温かく迎えてもらえる。

—皆の前でも、堂々と弱音を吐くことができる。

—話を優しく聞いてくれたり、興味を持って質問してくれたりする人がいる。

—どんな話をしても、否定されたりジャッジされたり、不必要なアドバイスがなされることはない。

—善人ぶって、嫌なことを押し付けてくるような人もいない。

ちなみに、このアダマン号は、実在するようです。一体、どんなふうに運営されているのかを聞いてみたいものです。