先日、小さな実がなっているのを発見したスイカちゃん。日に日に大きくなり、感動していたのだが・・・。
ある日、畑に行くとこの始末。
カラスか何かにつつかれた模様。大事に育てていたスイカをつつくんやったら、中途半端に食べ残さんと全部食べんかい!!この写真を旦那に送ったところ、かなりのショックを受けていた。幸い、一番大きく育っているものはつつかれずに済んだので、今回はスイカの上からも藁を掛けて見えないようにしておきました。
これを見つけた時の衝撃は大きかったが、一方で私は旦那ほどショックを受けなかった。なぜならば、このような思考回路になっているから。
①鳥もどうにかして生きていかなければならない
②スイカがつつかれたのは私のせいではない
③色んな対策は施せても、結局のところ農業は自然が相手なのでコントロールできない
私がなぜ農業に興味を示すのか、最近新たな発見があった。もちろん自然が好きということもあるけれど、③の「自分でコントロールできない」が気に入っているのだと思う。インドを旅するみたいに。私はインドへ行くと、いつも気が楽になった。電気や水道が止まったり、土砂崩れで目的地へ行くのに8時間も車でゆられたりするのだけれど、いずれの問題も自分で解決することができない。なので、「ここはインドだから」と思うことで、日本や東南アジアだと憤っていたことが自然と許せた。
自分でコントロールできない環境にいると、安心するのはなぜなのだろう。日頃、自分で何でもコントロールすることに疲れているのかもしれない。仕事上は人から「きちんとしていそう」と言われることが多く、私自身もきちんとしている自分に信頼をおいてきた。が、本当はきちんとしていないのかもしれない。だから、きちんとしようとすると疲れ、きちんとしようがない環境にいると楽なのではないか。そんな風に思ってきた。
農業は、私の中でインド的存在になりつつある。