世界一周の手配をしていると、奇妙な自分を見つけた。
この奇妙な自分は、ことごとくいろんな理由を見つけては、私が世界一周しようとするのを阻止する。航空券を買った後でさえも。
「ホテルに移動に現地のアクティビティ!こんな面倒な手配なんかやってられないよ。もう行くのを辞めなよ」
「行ったら、面倒なことばかりだよ。わからないことだらけだし」
「本当に世界一周しないといけないの?毎年1ヶ国ずつ旅行に行った方が楽じゃないか」
「危ないことがあったらどうするんだよ」
「手配をお願いしたタクシーが来なくて、飛行機に乗りそびるかもしれないよ」
これらは全て私が持っている思考パターンだ。完璧主義、ゼロヒャク思考、ネガティブフィルター、人を信用できない・・・。
特に、今、私が世界一周に出るのを阻止しているのは、自分が転ばないように、いろんなことを先回りして心配し、打てる対策は全て打とうとし、なんなら転ばないように歩かせないようにすらしようとする、超過保護な思考パターン。
この信念を持ち続ける限り、私は今持っている自分の「枠」を超えて、何かに挑戦することはできない。今住んでいる世界の中で、安全にしかし退屈に暮らしていくだけだ。しかし、それでは、本当にしたいことをできていないので、心から満ち足りた人生を送ることはできないのではないか。
20代の頃、世界一周に出たくても出られなかったのは、まぎれもなくこの思考パターンのせいだったと今ならわかる。
そして、この思考パターンが自分を小さな箱に閉じ込めて、人生の幅を狭めてきたのかと思うと悲しくなる。
平均寿命からすれば、人生はあと半分くらいしかないというのに、これからもそんな生き方でいいのか。
「世界一周して、旅行記を書く」という夢を実現することは、単に長い旅行をして本を出すことではない。「そんなことは自分にはできこっこない」と思っていたことに挑むことで、小さな箱からよいしょっと出て、自由に生きていくための儀式みたいなものなのかもしれない。
小さな箱から出たら、目の前にはどんな景色が広がっているのだろうか。
ぜひ見てみたい。