ダラムサラ滞在は、今日で最後。ホテルの部屋からこの景色が見られるのもあとわずかとなってしまった。
今日は自分が見つけたお気に入りの場所を、ゆっくりと回り、ダラムサラでの時間を回想することにする。
狭い道に車がひしめく、騒がしいマクロードガンジを離れて、いつもの瞑想センターへと続く静かな坂道を歩く。ここを黙々と歩いて、無になる時間が好きだった。
途中で、デリー出身のインド人男性と出会い、雑談をしながら歩く。昨日までダラムサラで行われていた、国際フィルムフェスティバルを見に来ていたそうだ。
ダラムサラに来てから、何人の見知らぬ人とこうして雑談を交わしただろうか。ここにはインド人、チベット人、外国人などいろんな人がいて、オープンマインドな人が多いような気がする。挨拶を交わすと、よくこうして自然と会話が始まったものだった。
坂の上につき、いつものチャイ屋でマサラチャイをすすり、店のおじちゃんと雑談をする。
そして、チャイ屋の近くにある瞑想センターに移動し、敷地内のベンチに腰掛けて、日光と静けさを楽しむことにした。ポカポカした陽気があまりにも気持ちよく、犬も地べたでだらんと眠っている。
私はもう何もしたくなくて、ただただぼんやりしていた。昨日のことも、明日のこともなんにも考えずに、ただ温かい日差しと鳥のさえずりとともにいるだけ・・・。
ダラムサラにいる間、100%素の自分でいられたように思う。
他人にも時間にも、自分が持っている「ちゃんとしないと」というルールにも縛られることなく、毎日自分の過ごしたいように過ごした。
ただ散歩をしたり、チャイ屋でぼーっとしながら人間観察をしたり、瞑想センターや湖のほとりでぼんやりしたり。日本にいるときのように、何かして忙しくしていないと!と焦るようなことはなかった。
最小限の化粧しかせず、毎日ユニクロを着まわして(洗いもせずに・・・)、髪型は大体だんごに結っていた。日本にいると、外見をきれいにしていないと自分の価値が下がるような気がして、化粧やら髪型やら服装やらに気を使っていたけれど、それもおかしな話だ。外見などで、人の価値なんか測れないというのに。見た目が美しいからといって、幸せになれるわけでもない。
インドで、日本にいるときに自分が縛られている「こうあるべき」というすべてのルールから解放されて、私の心は穏やかになった。自分を取り繕わずに存在していられることの解放的なこと!
このダラムサラで手に入れた「心の平穏」を、どうやったら日本でも維持できるだろうか。大体こういう気づきも、帰国して1ヶ月もたてば忘れてしまう。
そんなことは、帰国してから考えればいいか。今はただダラムサラ滞在の最後の1日を堪能すればよいのだ。
こういう「今にフォーカスする」ということが、心の平穏を維持するのに大切なことなのかもしれない。